5.19.加護ちゃんに伝えた言葉



いつもよりも少し早めに男は起きた。
目覚まし時計を早めにセットしていたわけではない。
自然と体が、いや魂が目覚めたと言った方がいい。
今までに味わったことのない感覚。
雲の上の存在であるあの人と今日は目の前で会話ができる。
それはうれしい事なのだろうか?
わからない。
そんな日が来ればいいと願っていた訳ではない。
しかし、その日は突然訪れた。

午後4時から午後9時まで5時間も会社を中抜けするのは、
男にとっては非常に厳しい事だ。
さすがに理由を言わない訳にはいかない。
男は力強い声でこう伝えて会社を後にした。

「Wの握手会に行ってくるので5時間中抜けさせて欲しい。
帰ってきたらすべて1人で仕事を終わらせるから。」

今日だけは嘘をつきたくなかった。
逃げも隠れもせず正々堂々と握手会に参加する。
それが男の本日の使命である。
その気迫に押され誰も男を止めようとはしなかった。
今日はいつもと違う、誰もがそう感じたのだろう。


タワーレコードに着くと整理番号順に列を作って階段に並ぶことになっていた。
階段の途中に並び、この後に訪れる握手会の事を一人考える。
握手会で言葉を交わせるのは一瞬である。
その一瞬に何を伝えるのか?
男にはどうしても伝えたい事が1つあった。
加護ちゃんのお陰で素晴らしい人生を過ごすことができている、その事への感謝。
「好きです」「愛してます」「かわいいですね」そんな事ではなく、
とにかく加護ちゃんに感謝の言葉を伝えたい。
それが最終的に男が選んだ加護ちゃんへの言葉であった。

会場に入るとステージと客席の距離がほとんどなく、その空間に圧倒される。
こんなところでWのライブが見れる。緊張でいつも以上に体内から汗が湧き出てくるのを感じる。
マズイ!ライブの後には握手が待っている。こんな汗ばんだ体で握手するなんて失礼だ。
男は必死に汗を抑えようとした。抑えようとすればするほど体内から汗が湧き出てくる。
自然の摂理。男は諦めた。直前できちんと拭こう。そう心に決めて、今は自然に身を任すことにした。

司会者が登場し前説を終えると、遂にWの登場である。
客席とほぼ同じ高さのステージに新曲の赤い衣装を来た2人が登場する。
今までに何度も2人を見ているハズなのに、いつもとはまったく違う。
あまりの神々しさに男の足が震えるのが分かる。
かわいいなどの次元ではない。めちゃかわいい。そんな次元でもない。走召かわいいのだ。
MCなしで「恋のバカンス」に突入。
その後、MC。
明日でWデビュー1周年ということもあり、この1年間を振り返るトークがあり、
2人のモノマネや、2人の最近の服のセンスの話など、いつものWワールド全開なMCが繰り広げられる。

「愛の意味を教えて」客前初披露。
TVとは違いフルコーラスで披露された。
今のWをストレートに表現したこの曲、音源だけで聞くよりも、生で聞くと威力が格段上がる。
ギミックの少ない派手さの少ない曲であるだけに、このシンプルなWらしさがストレートに会場中に溢れて
聞いているだけで幸せな気持ちになってくる。
歌い終わると2人は一旦ステージを後にする。

ここで握手会の準備が始まる。
今、2人が歌っていたそのステージ上にテーブルが用意され、そこで握手会が行われる。
再びステージ上に2人が登場する。
普段の握手会とは違い人数が抑え目という事もあり、がっつくヲタも少なく、
非常にスムーズに進行が進む。
一人一人と丁寧に握手をする2人。かなりスローペースだ。
一言二言会話をする余裕がある。
予想していたよりかなり長い時間だ。

男はゆっくりと握手の列に並んだ。
今まで数年間に渡って書きつづけてきた愛すべき加護ちゃんへの思い。
今自分がこうして幸せな人生を送れている、その恩人でもある加護ちゃんへ、
目の前で思いを告げられる初めての機会が目の前に待っている。
緊張で足がすくむのが分かるが、一歩一歩慎重にステージに向かって歩いて行く。

階段を上り、ステージに上がる。
眩い光に照らされたそのステージの上には、加護ちゃんが立っている。
決して近づくことのできなかったあの加護ちゃんがあと少し歩けば手の届く位置に立っている。
前の男が加護ちゃんと会話を交わし、握手をしている。
遂に次は男の番だ。


男は加護ちゃんの目の前に立った。
すると加護ちゃんが男の目を見つめる。
「何を言ってくれるの?」
加護ちゃんは目で男に訴えかける。
加護ちゃんが何か声をかける事を待っている。
そう思った瞬間、ヘビに睨まれた蛙のように男の体は萎縮した。
言葉をかける前に男は加護ちゃんの手を握った。

加護ちゃんの手と俺の手が今繋がっている。

加護ちゃんの手に俺の手が触れている。

加護ちゃんが目の前で俺の目を見ている。

加護ちゃんの目の前に俺は立っている。

加護ちゃんが俺の言葉を待っている・・・














男「がんばってください!!」








加護ちゃん「ありがとうございます♪」






男はこの数年間の思いをこの一言で表した。
「がんばってください」
想定外である。想定外中の想定外である。
会話が止まった。
もう1往復会話を交わす時間はあった。
しかし、会話は終わった。


すぐに辻ちゃんとの握手が始まる。
「来週のフットサルがんばってくださいね。」

「ありがとうございます。」

男は頑張ってちょっと加えてみた。
でも、会話はこれで止まった。
もう一言会話を交わす時間はあった。
しかし、会話は終わった。



会場を出ると、知りあいが次々と男に声をかける。
「普通でしたね(w」
「短かったですねぇ〜(w」
「いやぁ〜ピストルさんの握手は勉強になりました(w」


そんな言葉を体全身に浴びた男は一言。

「あれが握手ってもんだよ!!」

渋谷の街角にその男の力強い声が響き渡った。
とても清々しい未練なんてこれっぽっちもない逞しい一言であった。
その言葉を残し、男は会社に戻った。
その男の後姿は心なしかいつもより大きく見えた。
大きな仕事をやり遂げたそんな逞しい男の背中であった。








ありがとう!加護ちゃん!!
ありがとう!辻ちゃん!!