2011.03.28.






 石丸電気ソフト本館、最後の日(3/27)


石丸ラストデイ、1日中参加して来たので、それぞれの思い出と共に感想を。

石丸ラストデイの全セットリスト(なれのはて番外地)




 ももいろクローバー

石丸ソフト本店 140ライブファイナル(6)ももいろクローバー レポート(じゃぽかる)

“アイドルの聖地”石丸ソフト本店最後の日にももいろクローバー出演!

ももクロ17日ぶりライブ&チャリティで笑顔の連鎖反応(ナタリー)


お陰様で文句ナシの最前あーりんポジションで最後の最後を堪能してきた。
ここまで間近の席でももクロを堪能できるのはたぶん最後だろうなと思いながら
見てたね。中野サンプラザの最前なんて目じゃない近さだからね。

ももクロに関しては石丸ラストのステージというよりは、久しぶりにファンの前に姿を
見せるステージという意味合いの方が強かったかな。
地震以来、ブログの更新も止まってしまったので、彼女達の声を聞くこと自体が
しばらくできなかったからね。

冒頭はいつもの「overture」は流れず、静かなままメンバーが登場。

リーダー夏菜子より挨拶。
「東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に、
私たちが何ができるかわからないけど、
今できることを精一杯やりたいと思います。
まずは皆さんに元気を届けます!」

挨拶終わりで、ステージにメンバー居るまま「overture」でライブスタート。
ライブはいつも通りのパワフルさだったけど、MCは震災についての
真面目なメッセージメインだったので、いつものイベントとは違う雰囲気があった。
セットリストの並びも1曲目「ツヨクツヨク」で始めたり、震災についてのMC終わりで
「未来へススメ!」だったりと、メッセージ性を強く感じた。


ももクロとの石丸での思い出はまず「スタ☆フェス」だね。
2009年1月4日「スタ☆フェス vol.1」から「スタ☆フェス」はすべて参加してる。
最初の頃は石丸ソフト1でやってたっけな。当時の日記(番外地)を見てみたら
スタ☆フェスは最初から200人以上集めてたらしい。
ここでももクロは「来年紅白出場して解散する」とか宣言したんだよね。
2月の「スタ☆フェス vol.2」ではP-Aが出演。加入直後の杏果が初登場。

5月に1周年記念イベ。しおりが石丸の思い出でこれを挙げてた。
当時の日記(番外地)
一部は8階でトークイベント。二部は7階でライブ。
FKDの指示でライブは椅子全部取っ払ってオルスタでやった。
最前はロープしかなくて後ろから押されたらアウトな環境。
昔のももクロはこれでも安全だったんだよね。今なら死者でるねw
「これがやってみたかったんだよ~」とにやにやしてたFKDを思い出すw

1周年ライブ

7月の「スタ☆フェスvol.06」で杏果の加入発表。当時の日記(番外地)



「ももいろパンチ」発売以降も、ももクロは定期的に石丸でイベントやってたけど、
一番思い出すのは2008年の夏くらいまでの時期かな。
まだCDなんて出してなくて手作りDVDを売ってた頃ねw
それ以降のももクロはUDXとかの印象の方が強い。



 私立恵比寿中学

ももクロとはうって変わって、重い雰囲気はあまりないいつも通りのステージ。
新曲「THE ティッシュ~とまらない青春~」の初披露あり。

えび中の初披露は2009年8月4日「スタ☆フェス番外編 vol.2」(渋谷BOXX)。
最初の頃はももクロのゲスト的扱いだったので、えび中で石丸で思い出すのは、
2010年からかな。クリスマスに楽しい写真を撮ったのが一番の思い出ですw





 ぱすぽ☆

ぱすぽ☆は六本木morph-tokyoでワンマンイベをやってからの出演だったので
完全に出来上がった状態。この日見たライブの中では一番良かった気がする。

ぱすぽ☆は2009年の秋に石丸で初イベントをやったらしいけど、
それには参加してない。俺が初めてぱすぽ☆を見たのは2009年12月なので。
2010年秋から年末までは石丸と言えばぱすぽ☆と言うくらいイベントが多かった。
この期間に石丸で連日のようにイベントをやったことで、今のぱすぽ☆人気が
あるのは間違いない。今も楽しいけど、あの時期のぱすぽ☆石丸イベントは
まだ客数もそこそこでかなりおいしく楽しい時期だったね。

連日イベントやってた時は毎回衣装が違ったり趣向を凝らしてた。
「GPP」のパジャマ衣装で歌った時は、ライブ終わったら即行でドンキ行って
パジャマ買って来て着替えて、写真撮影した思い出がありますw






 NGP(THEポッシボー/キャナァーリ倶楽部)

石丸最後のステージはNGP。
他のユニットとは違って、この2組に関しては最近ほとんどライブに参加してない。
なので一番懐かしさを感じてノスタルジックな気分になった。
やっぱ石丸と言えばNGPだなぁ~と思ったね。

石丸のアイドルイベは15年くらいの歴史があるらしいけど、
俺はモーニング娘。からアイドルを好きになったので、ドルヲタ歴12年くらい。
ハロプロは石丸でイベントなんてやらなかったので、石丸イベにデビューしたのは
2006年秋のポッシボーからなので実はそんなに古くない。

初めて石丸の会場入った時のことは今でも良く覚えてる。
それまでに自分の中でイメージしてた地下アイドル現場そのままだった。
暗くて狭くて不健康な感じがして、こんな現場に染まるの嫌だわぁって思ったね。
今では石丸の会場入ると我が家に戻ったように落ち着く体になっちゃったけどw



思い入れがあるのはポッシよりもキャナのほう。
2007年二度目の自爆テロにより加護さんが引退、辻さんが妊娠で休養という
ダブルパンチを食らって生きる希望を失った時に出会ったのがキャナァーリ倶楽部。
地下アイドル、石丸イベント、今までのハロヲタ時代と違い新鮮で楽しかった。
キャナは石丸以外にも色んな場所でライブやイベントやってたけど、
思い出すのは石丸のステージだね。

「なれのはて」を始める前にマシュマロマンという名で書いてた幻のキャナ日記w



キャナとポッシがメインで出演した「Aiaiミュージックカーニバル」っていうのがあった。
この定期イベントからかなり大きい影響を受けたね。
今では考えらないけど2007年まではハロプロ(つんく♂ファミリー)以外のアイドルは
一切拒絶してた。完全なるハロプロ信者、食わず嫌い王だった。

このイベントは毎回色んなアイドルが出演するので自然と目に入る。
ひどいなぁと思うアイドルも居たけど、中にはいいなぁと思うのもあった。
Chu!☆Lipsやmimikaなどはこれきっかけでイベントに行くようになった。
ハロヲタだったのがポッシキャナに行って、Aiaiで他のアイドルに行くみたいな流れ
は俺以外にも当時周りにも何人か居たよね。そうゆう役割がこのイベにはあった。
段階を踏んでハロヲタから解脱するみたいなw


ハロヲタだった俺をいっぱしのアイドルヲタに成長させてくれたのが石丸電気。
当たり前にあるものが無くなってしまう寂しさ、これを昨日は痛感したなぁ。
今後こうゆうアイドルヲタの自由な遊び場ってもう現れないかもしれないね。


石丸電気、今までありがとう!お疲れ様!





石丸ソフト館店長閉店の挨拶


 



by・ピストル